2018年2月28日水曜日

ゲームという貴種流離譚

 スマホの普及によって、何かのネットワークゲームにはまって貴重な時間やお金を無駄にしてしまった人も少なくはないはずです。ただし、その間に何も得たモノはなかったのか?といえば、ゲーム層というさまざまな人間模様を体現できた有意義な時間もあったはと思います。

 現代の20代、30代がフェイクニュースをすばやく感知できるのはこうしたネット利用の時間と並行しているのかもしれません。今では、twitterやFBのフォロワー数やAmazonや楽天のランキングやコメント、Youtubeの登録者数や再生回数など、操作可能らしく、それを商売にしているプロモーション業者もいるようです。当然に、若者ほどそういったことの真偽に敏感なはずです。

 ネットワークゲームをしたことがある人には、こうした人気のないモノを大きく見せるようなプロモーション業者はソフトに見えるはずです。なぜなら、ゲームの世界ではチートなどが横行していて、彼らは自己顕示欲を満たすためなら何でもやり、そういった人たちとも対戦しなければならないからです。それを、純朴な若者が目の前で見る羽目になるです。それはそれで情報精査能力が鍛えられることでしょう。
 ウソやシステムを悪用する人、自作自演などが蔓延るネットの世界では、やはり情報弱者が犠牲になります。

 ただし、ゲームの世界は必ずチート利用者は追放されるような浄化作用があります。このあたりはゲームとスポーツが類似している点と言えます。最もラフなプレーで悪評のあるチームでさえチーム内に1人のチーターが発覚した段階で全員が責任をとって引退することもあります。
 
 もちろん、メジャーなゲームでは、廃(はい)ほど高学歴だったり高収入、逆に、勉強も就職も捨ててゲームに人生をすべてかけているような人もいます。彼らはゲームの前では対等です。
 上級者ほど、全国・全世界のプレイヤーと繋がり移動して意見交換しています。実生活では絶対に接点がなかったような層と話し合い、攻略法を見出していくのです。
 全国戦(世界戦)に挑むまでになれるゲーマーはまさにヤマトタケルのような貴種流離譚を経験することでしょう。ゲームに限らず、挑戦者は常に俗との結託を必要とするのです。
 
 ソシャゲーの時代はほぼ終わりましたが、また新しいコミュニティが出現してくることを期待しています。


2018年2月27日火曜日

日本の経済学の「何」を継承していかなければならないか?

 自分の受講生は日本一であるけれど、自分を指導した経済学の教員もまた日本一だったと思います。
 他人に何かを「教える」場合、その人の才能というより、その人がどんな環境で指導を受け、勉強してきた人なのかという側面が出るはずです。

 これは、私が受けた30年前の経済学の講義ノートです。特に加工することなく、板書に書かれたものを深く考えずに写したものだと思います。今でも、説明がなくても、見るだけで何が説明されているのかがわかります。この品質のものが何百ページと残っています(誰のものかわからないノートも多い)。
 本当にこんなに黒板に書き込んだ教員がいたのか?といえば、逆に書き込めない教員の方が少なく、グラフを書く手順や式の導出を丁寧に指導していました。
 現代でも学生が紙と筆記用具で、自分で分析できるようになるために、やはり教員自身もパワーポイントなどPCに頼らず紙と筆記用具でやって見せないとならないと考えます。

 講義中は何も見ないで頭に入っているモノだけを指導するというスタイルは彼らから継承しました。(基本的にはレジュメも教科書も使わない)
 

2018年2月25日日曜日

公務員(試験)をめざす学生

 試験直前や就職活動中の先輩を見ると、自分はあんなに自信を持って試験に挑めるだろうか?と思う人も多いでしょう。

 しかし、公務員(試験)をめざす学生は最初からそんなに自信たっぷりというわけではなく、最初は、行き倒れのようになった迷い学生や松葉杖でやってきた体育会系の故障中の学生、自信や明確な目的が無い学生が多い印象です。

 どんなに評判の良い大学に通っていても、その多くが中学生くらいの学習からおさらいすることになります。しかも勉強する習慣化からの土台作りです。
 毎日、泣くような日々が続き、逃げては戻り、また逃げては戻る状態が続きます。

 机にむかって3か月くらい、数的や経済などの過去問が解けるようになってきて、そこからようやく勉強が身についてきますが、実はその頃はもう勉強する余裕がなくなるほど、大学課題や説明会出席などが忙しくなってくるのです。しかも、面接対策や政策データの収集など、追い打ちをかけるようにやるべきことも増えます。そんな中でも、1日10時間くらい勉強することになると思います。
 ちょうどあれこれと混乱するくらい忙しくなって、ようやく自分を知り、自分の目標が芽生えてきます。

 後半にしわ寄せが来るのは、大学受験同様に就職試験でも同じですが、結局、「やり足りない」という印象で本試験に挑むことになります。
 実際に試験会場に行って、他の受験生の使っている参考書や問題集とその進捗度、完全に試し受験の人、何かのネットの情報に騙されている受験生など、目の前にいる競争相手を見て、これなら行ける!という気持ちになるはずです。
 試験を終えて、「あんなにやる必要はなかった」と思うくらいがちょうど良い勉強量です。
 
 勉強期間は自分を応援してくれる人は少数で、ほとんどが足を引っ張ることしかしません。

 人生を賭けた試験ですが、試験が始まってからが本当の闘いになり、当初、計画していた以上の長期戦になることも覚悟しましょう。(すべて落ちたという人は見たことがありません。必ずどこかには採用が決定すると思いますが、必ずしも第1希望ではないことも予定に入れましょう。)
 



2018年2月24日土曜日

河津桜

まもなく河津桜は満開になります。

2018年2月20日火曜日

今、求められている人材は、限られた時間内での現場における作業能力

 私自身、長い間、「外国人」として仕事をしていたので、日本にいる「外国人」がどのような仕事で収入を得て、どのような生活をして子育てをしているのか非常に関心を持っています。(もちろん、膨大な数のインタビューによってそれ判断しています。)

 そして、その中で重要なのは、なぜ彼らがアメリカではなく、日本を仕事の拠点にしているのか?ということです。それによって、現場の人から見て今の時代に必要な人材(官でも民間でも)も見えてくるはずです。

在日外国人の動向
(第1段階)外国人→日本の日本人:語学指導、レストラン
(第2段階)外国人→日本の外国人:訪日外国人に現地の化粧品販売、宿泊地提供
(第3段階)外国人→外国にいる外国人:「日本」という立地を最大限利用

 現在は、この中で第3段階に来ています。これはどういうことかというと、日本にいる外国人が外国に直接出向き、そこにいる裕福層を集め、彼らを憧れの日本に連れてきて、日本で財やサービスを売るというわけです。もはや、指をくわえて訪日外国人を待っているわけではないのです。もちろん、第4次産業革命によってさらにこの傾向が強まると考えます。

 対象者は、双方に外国人になります。日本について知識があるがネイティブでない外国人とまったく初めての訪日外国人です。
 ここで、すっかり日本人の出番がなくなりつつありますが、日本人でなければならない仕事もあります。それは、イレギュラーな事態が発生した場合に、現場に直接行き、限られた時間内で適切に処理する能力です。
 IT時代以降は、あまり知識は重要されなくなりましたが、面倒な作業を進んで行い、短時間で相手を説得させる能力が試されることになります。
 




2018年2月17日土曜日

大学・予備校・出版社と現在の受験生の意識の差

 公務員試験ほど、10年前、20年前、30年前との様子が変わった試験はありません。
 多くの受験生が高い意識と志を持っているので、憲法や経済学などは平気で満点を狙ってくる人も多いし、数的処理を中心とした教養科目もおおよそ得点戦略が備わっていると思います。人物試験対策も充実させているので採用まではかなりの接戦になっているはずです。

 大学文系は30年前に埋没し、予備校は20年前に固まり、出版社やマスコミは10年前から進化できなくなったようです。
 しかし、学生だけがびっくりするほど前進しています。
 どうして情報を伝える側と受け取る側に差が出来てしまったのか?
 1つは現在の10代、20代が気かつかない間に国際競争にさらされていることです。もちろん、官僚も役所職員も会社員も国際競争にさらされています。国際競争にさらされていないのは大学文系(教員)と予備校(経営者・講師)と出版社(マスコミ)だったのです。





2018年2月11日日曜日

実務教育出版 スー過去『ミクロ経済学』『マクロ経済学』

 さすがにここは『らくらく~』陣営のサイトなので、らくらくミクロ、マクロ、計算をやっている人たちばかりのはずですが、すでにミクロ、マクロ、計算を終えて、時間的に余裕がある人がやる本があるとしたら、それはスー過去『ミクロ経済学』『マクロ経済学』だけです。

 なぜなのか?理由は簡単なことで、公務員試験というのは、『母数』に支配された試験だからです。

 『らくらく~』から勉強する人は、あらかじめ、ある程度の合格するために必要な情報を持っていて、当たり前のように合格・採用を目指している人たちのはずです。もちろん、満点を目標にしていると思います。

経済学の売り上げランキング(日販)

しかし、母数を見ると、公務員試験という全体の人数では、勉強の手順や情報量に関係なく、スー過去を買った人の割合が多いということです。だからなんなの?と言われるかもしれませんが、試験が始まって採用まで、母数に泣き、母数に笑うことになるのがこの試験なのです。

 母数というのは、さまざまな場面でこれから考える必要がでてきますが、過去問の類題が出題されたときに、それをどのような手法を解答するのかまで母数に支配されているのです(奇をてらった特殊なことをする必要ないし、出題者側もそれを望んではいません)。
 経済学の得点者層の分母がスー過去とらくらくで占められるのなら、勝負どころは見えるはずです。