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2018年4月5日木曜日

師曰く「経済学の指導で得たお金は1円たりとも生活費に使ってはならない」

 私は、日米の優れた経済学者に出会いましたが、その中で尊敬する1人、この師曰く「経済学の指導で得たお金は1円たりとも生活費に使ってはならない」というのです。
 全額、社会のために使えということです。

 実際にその教員も、その教員を指導したノーベル経済学賞の経済学者もやはり1円も経済学の指導で得たお金を生活費に使っていません。なぜ、断言できるのかというと、使う必要が無いくらいの所得を経済学の手法で市場から得ているからです。
 そして、もし、経済学の指導によって生活をしてしまうと、もう、新しいアイディアを産み出す能力がなくなってしまうからだと思います。

 同様に、クリエイターも講師業をしてしまうと、もはやクリエイターとしての終焉を意味すると思います。講師ほど手っ取り早い現金収入の職業はないし、それに飛びつくようなクリエイターはもはやクリエイターではないからです。

2018年2月25日日曜日

公務員(試験)をめざす学生

 試験直前や就職活動中の先輩を見ると、自分はあんなに自信を持って試験に挑めるだろうか?と思う人も多いでしょう。

 しかし、公務員(試験)をめざす学生は最初からそんなに自信たっぷりというわけではなく、最初は、行き倒れのようになった迷い学生や松葉杖でやってきた体育会系の故障中の学生、自信や明確な目的が無い学生が多い印象です。

 どんなに評判の良い大学に通っていても、その多くが中学生くらいの学習からおさらいすることになります。しかも勉強する習慣化からの土台作りです。
 毎日、泣くような日々が続き、逃げては戻り、また逃げては戻る状態が続きます。

 机にむかって3か月くらい、数的や経済などの過去問が解けるようになってきて、そこからようやく勉強が身についてきますが、実はその頃はもう勉強する余裕がなくなるほど、大学課題や説明会出席などが忙しくなってくるのです。しかも、面接対策や政策データの収集など、追い打ちをかけるようにやるべきことも増えます。そんな中でも、1日10時間くらい勉強することになると思います。
 ちょうどあれこれと混乱するくらい忙しくなって、ようやく自分を知り、自分の目標が芽生えてきます。

 後半にしわ寄せが来るのは、大学受験同様に就職試験でも同じですが、結局、「やり足りない」という印象で本試験に挑むことになります。
 実際に試験会場に行って、他の受験生の使っている参考書や問題集とその進捗度、完全に試し受験の人、何かのネットの情報に騙されている受験生など、目の前にいる競争相手を見て、これなら行ける!という気持ちになるはずです。
 試験を終えて、「あんなにやる必要はなかった」と思うくらいがちょうど良い勉強量です。
 
 勉強期間は自分を応援してくれる人は少数で、ほとんどが足を引っ張ることしかしません。

 人生を賭けた試験ですが、試験が始まってからが本当の闘いになり、当初、計画していた以上の長期戦になることも覚悟しましょう。(すべて落ちたという人は見たことがありません。必ずどこかには採用が決定すると思いますが、必ずしも第1希望ではないことも予定に入れましょう。)
 



2017年10月1日日曜日

西日本の方がペーパーテストは強い?

 人間の能力は等しいけれど、ペーパーテストに関しては西日本は強いです。

 90年代くらいからか、例えば、お受験で御三家の入学試験はそのままだと近畿受験生ばかりに高得点が続出されてしまい肝心の東京っ子が受からなくなるという事態が発生する問題が起き、東京っ子有利な地理(東京の地図を知らないとできない)の問題も出題されるような対策が行われました(焼け石に水か?)。

 当時は、大学入試も、ペーパーテストだけだったので東京の大学は、近畿や九州勢に有利に持って行かれました。
 公務員試験も1次試験だけなら、西日本勢が強いはずで、難化するとさらに東日本勢との差が開くかもしれません。

 ペーパーテストの出来不出来は、どこで差がついたのか?

 私の場合は、中学時代に関西の学習塾(入江塾というところでした)に通っていた経験、埼玉県全域の学習塾の塾講をしていた経験、2つから推測して言えば、西日本はスキル重視(寺小屋式)で、東日本は暗記重視(大手ビジネス重視)という印象を持ちました。
 西日本的スキル重視の立場で言えば、難しい問題の解き方を覚えるのではなく、簡単な問題をたくさんやっていき、絶対に間違えないという完成度が高まったころには、もうその難しい問題はできるようになっているはずです。特に灘高だからって難しい問題集をやっているわけではなりません。(難しい問題を、簡単なステージに砕ける能力が身についている)

 ただし、この考え方は正しいとおもっていたのですが、20歳代に埼玉県全域で指導した時に感じたのは、スキル育成以前に、明らかに、学力が高い地域と低い地域がきれいに峻別されてしまっていたということです。つまり、関東圏には関東圏に必勝法があったのです。
 浦和や大宮のような大都市ではなく、本当に小さな町でも、普通に金髪の兄ちゃんが東大、その他一流大に行く町がありました。この町はスキルを積んでいるわけではなく、安い小さな学習塾に来るくらいだから家が金持ちというわけでもなかったのですが、そこは地域の力が強いところだったのです。
 地域力が高い町は子供の成長や人間形成に重点を置いているので教育に対する関心度が高いです。(続く)
 

 

 

2017年9月29日金曜日

公務員試験は「人生をかけた戦いである」ということ。

「らくらく~」が発売された2005年からしばらくはさまざまな予備校や専門学校から公務員試験講座を立ち上げてほしいという依頼を受けました(新規参入として)。

 しかし、そのすべてをお断りしました。

 理由は簡単なことで、多くの新規参入者は公務員試験と資格試験を一緒に考えていたからです。公務員試験の場合、受講生は人生をかけた勝負に挑んでくるので、こちらもその覚悟が必要となり、出題される問題は簡単かもしれませんが、それを指導するにあたっては万全を要します。ミスは許されません。(資格試験の場合はそこまで人生をかけた一発勝負というわけではない)

 もちろん、勉強を指導する以外に、泣いている受験生をなだめたり(逆に合格して泣いている受験生もいますが)、人生相談をしたり、終電まで補習したりと、講師側の人生を捨てる準備が必要になります。たった1点に人生が左右される、まさに、闘いです。

 そうした場合、やはり新規参入者にとって、あまりに負担が大きく、費用対効果は得られない、もしくは採算ギリギリの経営になってしまい、さすがに上場企業の社員経験の私にはおススメすることはできないビジネス・モデルなのです。

 TACの有名講師であった友人が、結婚を機に講師業を辞め、裏方にまわりました。どうして?と当時は思ったのですが、やはり、彼は講師業と家庭の両立は難しいと悟ったのでしょう。正解です。

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 現在は、独学でも十分に合格できるよう市販でも教材が揃えることが可能、もしくは大学が忙しくて予備校に行く時間がないというのが当たり前の状況です。それでも、不思議なことに、どんな超マイナーな予備校でも十数人の受講生が集まるのがこの公務員指導校の特徴でもあります。(大手以外でも数十人は必ず来るということで、なんとかビジネスが成立しているはずです。予備校に差はありません。)

 合格する人は予備校に行っても行かなくてもうかるはずです。そして、勉強を続けていれば誰でも必ずどこかにはうかります(セーフティーネット機能は健在)。ようは他力本願でなく、自分で過去問を解いたり、自分でマナーや文章力を鍛える習慣がつけばよいだけのことです。

 さらに、採用年度にほとんどの人が結婚します。

 

 

2017年9月17日日曜日

変わりゆく水道橋

水道橋は今ではホテルや大学、オフィス街へと変貌していますが、90年代までは資格試験用の予備校が乱立していました。
通りにはびっくりするくらいの受験生が歩いていて、飲食店も大繁盛していました。

90年代、
 1教室に300人以上収容できるスクール形式の建物が多く、その教室に受講生で満員になるのが当たり前だった時代です。

 今では考えられないと思いますが、300人の教室で効率的な講義ができるのか?と言えば、300人のデメリットよりも実はメリットの方が大きく、母数があることによる進化や情報量は大きかったのです。(インターネットが普及していなかったにもかかわらず、300人の口コミの方が正確な最短距離を歩める情報が流通できた。)
 水道橋の名物は、大原4号館でした。私もここで講義をしていましたが、当時、6階だったか喫煙所があって、休憩時間に100人くらいの受講生一度にタバコを吸うので、煙で火事だと思ったのか消防車が来たこともありました。
 税理士講座のメッカで、講義が終了する時間には滝のように人が校舎から流れ、校舎前には他予備校のパンフ配布員などもいたことがありました。

現在のEYEさんのビルは、この時代では大原10号館でした。隣りの住友水道橋ビルと同様に当時は最新の建物でした。
コンビニのポプラや隣のビルも当時は大原9号館、15号館だったと思います。(他の予備校も入居していたはずです。)レンガ色の建物で夜、校舎が閉まった後はホームレスの人たちが1F玄関付近で寝ていました。

 その裏通りに、現在は大原予備校になっていますが、当時は東京商科学院(この時は法商学園で現在と学校法人は異なる。その一部の講座はクレアールさんが引き継いでいるはずです。)。ここでも指導していましたが、不思議な場所でしたが、ここで茂木式経済学が誕生しました。
 93年までこれらの校舎で簿記論、財表、演習答練がメインの講師でしたが、ここから経済学へと変貌します。
 この時、1回でいいから代講で経済学を指導してほしいという要望があって、教壇に立ったところ大うけして、1000人単位で受講生も集まりました。
 (それ以前は、予備校でも現役の大学教授が講義をしていた。)





2017年9月15日金曜日

サイトの検索キーワードを調べたら、

 社会科学全体に言えると思いますが、やはり大学や研究機関の「系譜」というものが明確にあるものですね。
 最近、大学図書館で見つけた経済学の本を読んでいると著者が誰かなんて見なくても判別できる、やはり慶応の系譜はカラーが強いと感じます。現在の経済学の指導カリキュラムは荒憲次郎氏ら一橋大学で構築されたものが多いはずですが、それをコンパクトにして運営したのは慶応大学の貢献度が高く、試験に対応できる形にまで縮小させたのは、80年代ー90年代に慶応系であった大原や反骨精神が強かったTACの活躍によるものが大きかったはずです。
(当時の予備校講師の多くは今でも大学で教鞭をとっています。予備校は大学院生にとって良いバイト先だったかもしれませんね。今でも会うことがありますが、向こうは「先生!」と言ってくれるのですが、彼らの多くは結構、位が高い教授になっています。)

先月の当方のサイトの検索キーワードは、経済、慶応、公務員試験という順序でアクセスされていて、やはり、経済は慶応なのかと感じました。
「らくらく」を出版した週刊住宅の経営者は、出版時に三田会の幹事をされていました。

経済学というのは、10ページも読めば、その系譜がわかるものです。
例えば、私はマクロ経済学のテキストでは総需要、総供給を、




と右肩にD,Sを付しますが、これはどのような系譜、指導を受けてきた者なのかを暗示させています。実際に教員によって表示の仕方は全く異なります。(「らくらく」をパクった本が出回っていますが、そういう本の中には、こういう文字までパクるものまであります。)
 45度線分析にしても、「らくらく」は輸入されたマクロ経済学を受験経済学用に加工されたものであって。それが正解!言うわけではなく、実際に経済学者はそれぞれの全員が異なったアプローチをしています。「らくらく」は短い方に優先権があるというショートサイド原理を基本として展開していますが、「セカンド・ベスト」の発想からもアプローチできます。

 輸入されたマクロ経済学と言いましたが、それほど米国で勉強する経済学は教員によって記号もアプローチもバラバラです。しかしながら、系譜や理念はそのスクールでおおよそ合致しています。

 
公務員試験の指導以外では、2種類の財を、




X1財、X2財としています。公務員試験ではX財、Y財が一般的なので、この部分だけは作り変えています。
最近、ようやく公務員試験でもX1財、X2財も登場してくるようになりました。個人的にはこちらの方が使い勝手が良いように感じます(3種類(X財、Y財、Z財)以上の財でも扱えるからです)。





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 経済学の試験(国家公務員)は、日米共通の英語での出題で良いと感じています。
帰国組や留学組にとって、経済学は受験しやすい科目なのですから。




2017年9月1日金曜日

『らくらく経済学入門』入稿完了。9月末に販売へ

9月末には販売できると思います。

 らくらく創刊から11年分の原稿と、20年間の受講生の質問のデータなどを久しぶりに見直す良い機会にもなりました。

 さすがに11年にもなると、世間では「この問題はこの公式で解くんだ!」という一種の公式のように固定化された解法テクニックになったものがありますが、実際には私と受験生の間で、「こうしたらどうか?」「それがダメならこういった解き方でも可能じゃないか?」と試行錯誤しながら、作り出したものが多くあります(経済学の公式ではない)。
 
 言葉というのは、今では「国語」のような人工語が世界的に一般的に使われていますが、もともとは家族の中で産出されるものです。または、マルクス=エンゲルスやドゥルーズ=ガタリのように複数人の語りから産出されるというものもあります(これは拍手の原理で、片方の手では音が出ないが、両手をたたくことに音を発する=言葉ができる)。
 そこに、人工的でなく、何かを要約したものや刷りなおしたものでもなく、本物の活き活きとした原液に近い言葉が存在します。

 改めて、私と受験生との間で、数学や経済学を通じて家族としての繋がりがあったということを自覚しました。
  信念を貫き通した人の記憶が刻まれています。本当にありがとうございました。





2017年7月30日日曜日

台本のない講義

 私はもともと数学を指導していたので、経済学の問題も予習などはしないで、いきなり問題を解いてみて、悩んだり、間違えたり、戸惑ったりするナマの姿を学生に見せるようにしていました。一見おどおどしていて頼りないように思えますが、自然と優秀な学生しか集まってこなくなります。

 一方で、大声で「俺は偉いんだぞ!」と威張り散らしている講師もいます。ある一定の人には人気があるでしょう。しかし、彼らのは話を聞いても5分後には全部忘れてしまうような内容だったりします。つまり、すでに解答が用意され、手垢が付いた台本を読んでいるだけなのかもしれません。
 シナリオで起承転結するテレビを見てもほとんど記憶に何も残らないので、タヌキにばかされてしまった印象と同様です。

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 「経済学」を複数の校舎で同じ講義を行う場合、当然に1回目・1順目の講義は準備不足で言葉を選んでいるので上手いとは言えませんが、2順目、3順目と同じ講義を繰り返してくると、情報量も多くなり、ほとんど台本化してくるので、とても歯切れが良い素晴らしい講義になっていきます。

 例えば、同じ講義を高田馬場→水道橋→池袋→横浜の順にやっていくと、通学範囲なので後半の方がスムーズな講義展開をしているため、高田馬場よりも池袋と後ろに流れると思われがちですが、優秀な学生ほど1番最初の歯切れの悪い、準備不足の生々しい講義の高田馬場に集中するようになります。
 そこが最も記憶の残る講義をしているのです。

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2017年5月4日木曜日

週刊住宅新聞と資格図書

なぜ不動産専門誌が資格図書を?と現在の受験生には少し疑問があるはずです。

 日本経済が成長していた90年代まで、「資格」の代表は宅建でした。宅建は年間・万単位で需要があるのでこれを軸に予備校や出版社が利益計画を行っていたのです。
 もう1つが「簿記」です。PCソフト会計世代にはピンと来ないと思いますが、これも手作業で事務を行っていた時代には欠かせない必須の資格でした。

 なぜ週刊住宅に「経済学」が?というものも、90年代に人気があった資格、不動産鑑定士2次試験の勝負科目が「経済学」だったからです。
 この不動産鑑定士試験は、受験期間が長かった司法試験受験生が収入確保のために受験する人が多く、また宅建合格者はもちろん、司法書士合格者も受験するケースが多かったので、予備校としては営業しやすい分野でもありました。

 今の資格試験図書や予備校が直面している状況はアメリカでも同様です。

 アメリカには90年代まで秘書育成の短大が各地にありました。(地方では、この学校に行けば、ブラインドタッチでタイプライターが打てるようになれるというCMがよく流れていました。) それがパソコン世代に代わり、姿を消したものや、時代に合せて変化したものが見られます。

 今、チアは日本が強いようですが、アメリカが強かった時代はチアの強豪校と僻地の短大の広告活動はかなり密接な関係を持っている場合がありました。この僻地の短大というのは日本で言えば実技資格の予備校や商業高校に近い、秘書育成の学校です(もちろん、そこから4年生大学に編入する人も多くいます)。
 しかし、今では、かつては政治力が強かったチアの強豪校ですら10年以上チアのサイトが止まっているところもあります。逆に中国人留学生を集めようとフロントページが中華色に変化しているものもあります。
 僻地にとって、学校経営は唯一のビジネスなのです。

2016年12月11日日曜日

カップルでの勉強は効果的だと考えます。

 予備校などではしばしばカップルの受験生がいて、他の受験生からは「あいつらは気合が足らん!」と思われるかもしれませんが、結果を見ると、だいたいカップルの受験生はともに第1希望に採用が決まるケースが多く、同時に採用年度に結婚しています。

 難関資格試験なら2人同時に合格するというのは滅多にないことですが、公務員試験のような就職試験の場合、試験期間が続くので、その長丁場を支えるために、信頼できる人物が近くにいるというのは、かなり強いということです。

 実際に試験が始まるとわかることですが、頑張っても、頑張っても、自分を応援してくれる人はほとんどいません。そして、1人で落ち込むことも多いでしょう。しかも、真夏のスーツ移動なので激しく体力も消耗します。この状況下でスケジュールをこなす必要があるのです。

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「80:20の法則」は常に考えなければなりません。

たとえば、予備校に行って、大成功する人は2割です。その2割に必ず自分が含まれるとは限りません。
最近、30年前にことごとく大学受験に成功したという人の話を聞いたのですが、その人は自分に合う予備校に当たるまで何度も予備校を変えたというのです。普通はそんなことはできないだろうし、やはり、財力があるというのは強力だと思いました。
しかし、そんな人も大学受験では完全勝利を獲得したのに、その後の人生はパッとしません。結局はどこかで80の波に呑み込まれるのです。
逆に、大学受験で失敗した人の方がその後の人生で20のチャンスをつかんでいる人が多いように感じます。


人間の能力は全員同じだけれど、自分が勉強するための環境を獲得するのは極めて難しく、それを継続させることは、さらに難しいとつくづく感じます。
(もし、家族でできるのであれば、それは良いことですがそれもやはり80:20の法則で2割しか成功しないでしょう。)
女性が自分の体質にマッチしたダイエット法を発見するのに一生かかるのと同じように簡単にはいきません。


私は1人でやるのが一番だという結論になりました。
そういう人も多いはずです。







 

2016年11月5日土曜日

大学の1.5時間×15回、予備校の3時間×偶数回+演習というシラバス設定

カリキュラムにおいて、
1セメスター
大学なら1.5時間×15回、

予備校の3時間×偶数回+演習(全体の講義回数や料金は3の倍数になる)

というシラバス設定になっているはずです。この時間や回数設定は何を根拠にしているのか?疑問を感じている学生も多いと思います。
なぜなら、この回数を減らせばもっと授業料は安くできるはずだからです。

大学の場合、在野の立場にある早稲田や法政ですら、このカリキュラム設定を守るということはそう簡単に変えられない理由があることが予想されるでしょう。


実は、これは大学といえども基本的には文科省の組織なので、補助金をもらうためにも「外からみた」大学の運営自体は揃える必要があるのです。

日本はまだアメリカのように提携校以外で取得した単位をそのまま他の大学で同じように認めることはできないけれど、いずれはアメリカに合わせてアンダーグラデュエイトの単位は全大学共通(東大で取得しても高千穂商科大学で取得しても同等)へとなるはずです。
そのため、1.5時間×15回は徹底して守らせていると考えるのが妥当でしょう。
(平行線にすれば競争や淘汰が加速します。)

では、なんで文科省とは関係がない予備校までが同様のカリキュラムなのか?というと、
これは大原の影響と考えます。全国展開している予備校で唯一、大原だけが「学校」なのです。

昭和時代、ガリバーであった大原と競合して、その他の予備校が設立したので、大原のカリキュラムを流用した形跡が残っているのです。

特に大原に合せる必要はないのでは?と思うかもしれませんが、当時、大原以外で、東京CPA専門学校、村田簿記学校や東京商科学院(現クレアール)などもやはり「学校」だったからです。その中で大手でありながらTACが株式会社で異質な存在だったのです。
(学校法人であれば政府からも補助も受けられ、それと対抗して私企業が競争するのはかなりの能力が必要だったはずです。)

現在は、ほとんどの予備校が株式会社のはずです。
その方が、経済情勢や受講生のライフスタイルにあわせて商品開発がスムーズですから。













2016年10月6日木曜日

どうしてTACが強いのか(強かったのか)?

 私も長く教育機関に関係してきて、いつの時代にも社風からくるTACの強さを感じることがありました。

 その1つが、ささやく様な講義をする講師、低姿勢で見た目が頼りなさそうな講師などが第一戦にいて、しかもその人たちが集客や合格率に大きく影響を与えていたことです。何を言っているのか?と疑問に思う人もいるでしょう。

 多くの他の予備校のリクルーターはそんなに社会経験があるわけではないので、人を識別するのに、学歴や職歴以外はその人が強そうか弱そうかくらいしか見れません。
 つまり、上から目線で、声が大きかったり、攻撃的で、威張り散らしている人材を優秀だと判断し採用するので、一見、頼りなさそうな人は能力は低いと断定し見逃しているはずです。

かつてこのような経験はないでしょうか?
 義務教育の過程で、運悪く能力が低い教員にあたると、彼らは自分よりも優秀な生徒はほとんど発見できません。
 当然に、能力が低い生徒も、先生!先生!と呼ばれチヤホヤされ、声が大きかったり威張り散らしている先生が優秀だと判断するので、その組織では需給が一致しているのです。
 したがって、教員の能力以上の優秀な生徒は学校教育の長期間は疎外との闘いになっていたはずです。

 しかし、世界で戦っている一流企業や組織などでは、こうした構図はないと思われます。

 私が世界で見てきたものを挙げれば、講義以外の場所では、優秀な講師ほど隅っこで小さくなっていてオドオドしているように見え、それは常に謙虚な姿勢であることのあらわれでした。同時に、謙虚な講師に従う学生もまた謙虚で優秀であること。そして、他人の話をきちんと聞く講師には言葉を慎重に選ぶ学生が集まるし、本を最後まで読んで自分の意見を言える講師にはちゃんと本を完走する学生が集まります。
 ここでもやはり、需給一致しているのです。

 このように、優秀な学生を集客するためには性別、声の大きさや体格は無関係で、良い人間のフリをする必要もないし、ましてや広告にお金をかける必要もないのです。
 謙虚な姿勢を持つ人材を発見することが可能なリクルーターの能力1つで、企業は発展することも衰退する可能もあり、それはプロ野球とかわりません。
 ささやく様な講義をする講師、見た目が頼りなさそうな講師が持つ潜在的な高い能力を発見できたことが企業成長に大きく貢献したと思われます。

 「優秀な生徒は学校教育の期間は疎外との闘い」と書きましたが、こういう疎外されてきた学生がちゃんと勉強できて、評価してあげられるのが学校ではなく予備校の講師の役割でした。
そのため、彼らは、決して声が大きくて威張り散らしていてキレイごとだけを語る自己顕示欲の塊のような講師を望んではいません。学校にはいないような、受講生が主役になれるように手助けしてくれる教員に期待しているのです。

--------- 言語的な理論武装したサルトルよりも、オドオドしているように見えるカミュの方が「現実」を見ているので、多くの「小説を読みたい」読者をひきつけます。

 今の時代、もしくは試験種によっては予備校が必要かどうかは疑問視されていますが、学校での勉強が十分にできなかったと感じている人(私はもともと「学校」というものに否定的です)がどこかの時点で独立して自分で勉強してみようというきっかけをつかむ機会が迎えたとき、それを手助けできる人こそが真の教育者となるはずです。(「先生」とか「講師」と呼ばれているような者とは限りません。)

 
 

2016年9月15日木曜日

予備校の黄金時代

 「らくらく経済学入門」は、週刊住宅新聞社という出版社からでています。
この出版社は以前は高田馬場にあって、同じく高田馬場にあった当時、某大手予備校の(元)人気講師の本を主に出版しています。

 今とは時代が異なり、資格試験関連の予備校の黄金時代で、ライブ講義で普通に1教室300人超集めていましたから、いかに同じ時間を大勢で共有していたのかわかります。
 
 司法試験講座には神様とまで呼ばれたスーパースター講師がいました。
 その講師以外で300人教室を瞬間蒸発で満員にできるのは、自分しかいないはずだと自信を持っていたのですが、実は私以上に黒山の人だかりの講師がいて、誰だ!と思ったら、社労士講座の秋保先生でした。

質問の順番待ちで並ぶ受講生の長蛇の行列が忘れられない。


 
秋保雅男 
週刊住宅新聞社 




 そこの予備校は、全盛期には宅建講座には万単位の数の受講生がいて、講師もかなり高い水準の人が多かったようです。

 優秀な講師は司法試験にすぐに合格してしまっていなくなり、入れ替わる講師もまた翌年には司法試験に合格確実のような人がすぐに見つかるほど人材も豊富な時代があったのです。

 その優秀な講師陣として、



宅建学院
現在は名前は出していないようですが、宅建の受験本では最も有名な人です。
週刊住宅新聞社の屋台骨かも。





宅建の講師は、かなり多彩で、ナニワ金融道の青木雄二先生もそこの宅建の講師でした。

青木雄二
三栄書房






 その他、実務界であった大物の中で「若い時にあそこで宅建の講師をしていた」という人に何人かあったことがあります。特に弁護士の人は多いでしょう。
 資格用の予備校ができる前は、司法試験の受験生はガードマンなどのアルバイトをしていたというのが一般的でしたが、この時代では「宅建の講師」や不動産鑑定士などへと代わっていきました。

 宅建講座に関して、正攻法ではとても勝てないので他の予備校のユニークな講座も目立った時でもあります。

最後に、自分のも載せておきますか(笑)



茂木喜久雄
週刊住宅新聞社









こんな顔ぶれです。

それに今も現役の司法試験のカリスマ(神様)講師を加えてみてください。

現在の学生諸君は、
こんな予備校があったら、行ってみたくなりますかね?

今の状況に譬えると、ポケモンGOで公園に集まるようなものだと想定してみるとわかりやすいかもしれません。








 ちなみに、その出版社の人や編集者、デザイナー、予備校の講師などであふれていた店も、やはり高田馬場の近くにあります。(当時は高田馬場駅前の芳林堂書店が入っているビルの地下にありました。)

最近も行くことがありますが、やはりいかにもクリエイターの人は見当たらなくなりました(笑)。

 新宿ゴールデン街や神保町にもクリエイターみたいな人がたくさんいますが、それぞれ少し方向性は異なります。



2016年8月15日月曜日

(旧)経済学の杜(不動産鑑定士試験用の攻略サイト)の閉鎖

1996年より20年間、不動産鑑定士試験用の攻略サイトであった旧「経済学の杜」(http://www007.upp.so-net.ne.jp/hudousan)は本日をもって閉鎖いたしました。

20年間、ご利用いただきまことにありがとうございました。
引き続き、現在の「経済学の杜」へ統合いたします。

2016年7月26日火曜日

資格試験の予備校が新しく立ち上がっているようですね。

 「公務員試験」で検索すると、いつくか最近になって予備校が新設されているようですね。

 教師は新しいほど勤勉であるように、予備校も新しいほど受講生を集め合格率を上げようと努力するので、かなり受講生にとっては良い方向への原動力を持っています。(もちろん、老舗も負けじと努力するので双方に良い影響が産まれます。)
 
 これは、どんな業種の会社でも同じですが、スタートからある一定の軌道まで上昇させることができるかどうかが肝心です。
 しかし、景気の良かった時代では予備校に差し出せるお金に余裕がある学生が多かったはずですが、今ではアルバイトで生活費を稼いでいる学生がとても多いので、何十万も予備校に出せる人はほんのわずかです。
 つまり、今、予備校は金銭的余裕のある受講生争奪戦になっている可能性もあります。

 受験生が増えない、需要者が増えない以上、市場規模には限界があるので、経営的には難しいはずです。したがって、従来のビジネスモデルではない形態で運営する必要があり、それによって、まず市場を大きくさせることが重要になってきます。
 そして、ステマをやっているような場合であれば、撤退は早まることになるでしょう(現在の需要者はネット世界に慣れているので、かなりシビアな目を持っている)。

 私個人では、受講生からの授業料は無料、ただし広告を見てもらって広告会社からの収入と関連商品(本とかデータなど)の売り上げで運営していくスクールなどが良いと考えています。

 対面講義・対面指導となると、家賃や人件費がかさむので、都心部での集団講義には限界が出てくるはずです。






 

2016年6月9日木曜日

第4回 「試験用 経済学」・バブル経済と東京商科学院

「試験用 経済学」の4回目、久しぶりに更新します。

 90年代初頭、日本はバブル経済で好景気。
会計系の予備校はどこも超満員でした。メインは、受講料が高い公認会計士講座です。当時は、まさかバブル崩壊なんて思ってもいなかったでしょうから、会計士に限らずどの資格も専業受験生も多かったと思います。

 バブル期には、教育産業とそれに連動した学参図書も大いに活気づいていたと思いますが、そのバブルが崩壊し始めた93年頃は、さらに資格取得に人が流れ、予備校は、もう1つの山を迎えました。
 その頃、TAC会計士科の礎を築いた講師陣の一部は東京商科学院(当時は法商学園、現在とは経営が異なります。)へと流れ、当時、東京商科学院は大きく投資をしていたので、例えば、財務諸表論の講師に飯野利夫や新井清光なども教壇にあがっていたほどです。
 この時の受講生は、日本の会計財務の教員の総合デパートを見たことでしょう。
(その頃、もっとも人気があったトレンディ・ドラマ「東京ラブストーリー」のスポンサーもこの学校がやっていたのです。)

 そこには、御大学者や敏腕実務家、人気講師など1カ所に集まり、総合的に競合され、モノサシができたことはその後、いろいろな意味をもたらしたと思います。
 私はその時は、全く無名で、ここで時間講師をしていました。多くの講義を見させていただき、その後の指導法に大きな影響を与えられました。


 90年代中期以降、日本経済は低成長時代が続き、会計系資格試験受験者が学生やサラリーマン系から従来の家業的なものになっていき、時代はロースクール構想をもとに法律系資格や公務員試験へと人が流れるようになりました。
 経済学は、法学部の人が学ぶための、まさに試験用に特化したものが市場にあふれる時代に突入するのです。



2016年3月23日水曜日

もし、公務員試験向けの受験指導校を設立するとしたら…

たぶん2つのコースが必要になるはずです。


①勉強そのものが初学者な人向け
(教材込で20万円~くらいになると思われる)
1度も受験の経験(高校受験や大学受験)がなく、まったく数的処理の問題ができないという受験生に、算数や数学の基礎の基礎から付きっきりで指導する必要があるので、市販のテキストは使うことができず、長いタームでの個別指導も要求され、それなりの高額費用になるはずです。

②独学でも受かる人向け
(教材なしで1万円くらい。ただし、市販の教材の購入・新聞の購読など予算は5万円程度を準備)
公務員試験が知識量の試験ではなく、過去問を解く試験であるということを指導して、その人の学力にあった教材を指導し、それを買ってやらせて、計画通りに勉強が進んでいるかの確認と、最後に模擬面接とエントリーシートや履歴書などをチャックするだけなら、かなり低価格で提供できるはずです。

どちらにしても、知識のつめこみではなく、過去問を何度も繰り返しやることが合格への近道なので、最初の1か月にどこまで進めるのか、どこまで勉強する習慣を身につけるかが予備校の勝負どころですね。





2016年3月16日水曜日

どのような授業に人は集まるのか?

以前、大手の予備校の講師をしていた時、受講生が多いので、高田馬場と水道橋の2か所(移動可能)で、異なった日にちで講義をしました。

最初は高田馬場で行い、その翌日に水道橋で行う形式でした。

はじめの高田馬場の講義は、私の事なので予習もせず、テキストもなく、いきなり黒板に書き始めるものです。そのため、ミスもあるし、間違った部分も発生しました。
質問も多く、意見も聞き、反省点もありました。しかし、汗だくになりながら一生懸命にやったという記憶がだけが残りました。

しかし、翌日の水道橋の講義は、前日の高田馬場の講義をもとにしているため、まったくミスがない説明で、丁寧に整理された板書を用意することができました。
これは、講師から見た満足度が高いのです。

その結果、どうなったでしょう??

受講生は、なぜか水道橋ではなく高田馬場の講義に移動してきました。
やはり、何もデータがない状況で行われた講義が生々しく、まさにライブだったのでしょう。
そういったコメントが多くありました。

2016年3月9日水曜日

日本のバブル時代、それは予備校にとっても凄かった(2)。

90年始めのTACの成長期、確かに印象深いものでしたが、税理士科に関しては当時の大原は横綱の貫録があったと思います。

いろいろな講座で数百人の受講生が集まった!と喜んでいる講師は、バブル時代の大原5号館、税理士科の講義に集まった受講生の数を見て驚愕するはずです。どんなスーパースター講師でもかないません。
3階か6階に喫煙所があったと思うのですが、喫煙所からの煙で消防車が来たこともあります。
それが、週末の巨人戦と重なると、水道橋駅はまるで祭りのようにかなりごった返していました。

IT化に伴って事務スキルの多くはコンピュータが行うようになり、簿記の受講生大きく減少したはずです。
それでも公務員試験の合格者は、今でも仕事が始まるまで宅建と簿記3級をとっておく人は多い。




2016年3月7日月曜日

日本のバブル時代、それは予備校にとっても凄かった。

バブル時代、予備校の会計士講座はものすごく繁盛しました。
大原では、当時の大原10号館(現在はEYE東京校の校舎になっています。当時、会計士講座の受講生があまりに多いので建てたビル)、や向いのコンビニが入っているビル(確か大原9号館だったかな)が昼間部だけで超満員になるほどでした。

そして、その財力で、大学の有名教授を講師で招いたので(大原に限らず東京商科もやっていたが)、受講生は、当時の日本を代表する経済学部や商学部、経営学部の教員に教わることができました。

競争相手はそんな財力なのに、その強豪に一歩もひかず、むしろ優勢に戦った当時のTAC(東京アカウンティングセンター?アカウンティング学院…という名前だったと思いますが)は、無名の講師陣(その後、有名講師になりましたが)なのに、試験に直結した指導法で、すごく良かったと思いました。

現在の会計、財務、経営などの「試験用の講座」のスタイルの基礎は当時のTACがつくったといっても過言ではありません。(すでに30年以上の時が経過していますが…)
そして、どうしてあの時、あの場所に、あれほど優秀な講師陣が集まったのか?偶然にしては謎多き。