2017年9月17日日曜日

変わりゆく水道橋

水道橋は今ではホテルや大学、オフィス街へと変貌していますが、90年代までは資格試験用の予備校が乱立していました。
通りにはびっくりするくらいの受験生が歩いていて、飲食店も大繁盛していました。

90年代、
 1教室に300人以上収容できるスクール形式の建物が多く、その教室に受講生で満員になるのが当たり前だった時代です。

 今では考えられないと思いますが、300人の教室で効率的な講義ができるのか?と言えば、300人のデメリットよりも実はメリットの方が大きく、母数があることによる進化や情報量は大きかったのです。(インターネットが普及していなかったにもかかわらず、300人の口コミの方が正確な最短距離を歩める情報が流通できた。)
 水道橋の名物は、大原4号館でした。私もここで講義をしていましたが、当時、6階だったか喫煙所があって、休憩時間に100人くらいの受講生一度にタバコを吸うので、煙で火事だと思ったのか消防車が来たこともありました。
 税理士講座のメッカで、講義が終了する時間には滝のように人が校舎から流れ、校舎前には他予備校のパンフ配布員などもいたことがありました。

現在のEYEさんのビルは、この時代では大原10号館でした。隣りの住友水道橋ビルと同様に当時は最新の建物でした。
コンビニのポプラや隣のビルも当時は大原9号館、15号館だったと思います。(他の予備校も入居していたはずです。)レンガ色の建物で夜、校舎が閉まった後はホームレスの人たちが1F玄関付近で寝ていました。

 その裏通りに、現在は大原予備校になっていますが、当時は東京商科学院(この時は法商学園で現在と学校法人は異なる。その一部の講座はクレアールさんが引き継いでいるはずです。)。ここでも指導していましたが、不思議な場所でしたが、ここで茂木式経済学が誕生しました。
 93年までこれらの校舎で簿記論、財表、演習答練がメインの講師でしたが、ここから経済学へと変貌します。
 この時、1回でいいから代講で経済学を指導してほしいという要望があって、教壇に立ったところ大うけして、1000人単位で受講生も集まりました。
 (それ以前は、予備校でも現役の大学教授が講義をしていた。)