2016年10月27日木曜日

どうして「学校給食費」が周期的に論点としてあげられるのか?

どうして「学校給食費」が周期的に論点としてあげられるのか?

何でもないように見える「学校給食費」、実はこれには大きな論点が隠されていて、それを論点として取り上げられなかった社会的な背景が長く続いたということも、根に持たれる要因だと思います。


実は、日本国内には、ほとんど貨幣経済がない地域もありました。
その場所では「貨幣」の支払いがなくても、まったく生活に支障がなかったのです。
1円も必要ではないんです。

私はそのような貨幣経済がなかった日本の姿を見た最後の世代かもしれません。
この場所に初めて登場した貨幣経済の洗礼は、実はこの学校給食費なのです。

給食費自体の金額はわずかかもしれませんが、そもそも収穫期でもない時期に現金があるわけでもなく、突然の支払いに多くの人が戸惑ったのです。

結局、このことが一定の現金収入を煽られ、多くの人々は現金を稼ぐために勤め人にならなくてはならない状況になったのです。

(驚くかもしれませんが、農家にはたくさんあった雑穀を、現金代わりとして取引に応じる商店も当時はありました。)

たかが学校給食費、しかしそれが原因で過疎化が進んだ街もあり、家族の絆や地域性を失わせました。それは、言い換えれば、貨幣経済が日本全国に浸透させた最大の政策だったと思います。

もちろん、給食と同時にその地域に、それまでは都会に会った工場が建設されるとどうなるか一目瞭然です。現金収入のためにいくらでも労働力を提供するようになります。

こういった背景があり、今でも学校給食が論点として挙げられるたびに、そのことを思い出します。