2016年9月28日水曜日

祖母100歳、ファイターズのユニフォームで式典に出席するとのこと。

まったく健康な祖母は100歳になるので、町から祝いがあり、ファイターズのユニフォームで式典に出席するとのことのようです。

人生は苦行の連続なので、100年も生きようものなら相当な記憶の呪縛に押しつぶされてしまうのではないだろうか?と思う人も多いでしょう。

しかし、100歳の祖母の記憶、現在、よみがえって話すことの大半は若い時代の外国で暮らしていた日々のものです。
祖父は海外で仕事をしていたので、祖母は終戦まで海外で暮らしています。


その時、祖母は言葉が通じなかった外国で、現地の人たちとコミュニケーションが達成された時のうれしい記憶が100歳まで生々しく生き残っているのです。

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ナポレオン戦争を境に、世界は国民という意識が高まり、列強諸国で「国語」という人工語を習得させられるようになりました。今でも、訓練によって習得した言語と記憶が密接に結びついてしまっているので、どうしても言語習得前の記憶がよみがえってきません。
(三島由紀夫や村上春樹の作品で出てくるような言語習得前の記憶、海外の有名な作品、たとえば「羊たちの沈黙」「Perfume」にもそれが出てくることがあります。そこに本来の自分の立ち位置があるのです。)付け加えると、死ぬ寸前まで自然界には存在しない人工語、人工的な財である貨幣、人工的な群れ(会社)などの呪縛からなかなか解放されないのです。



言葉を獲得する前の記憶がよみがえるきっかけがあるかもしれませんが、そんな機会はない人の方が多いでしょう。しかし、その記憶が必ず五感のどこかにあるということは忘れてはなりません。

そして、家族の名前すら忘れてしまっても、言語以外のコミュニケーションの記憶だけは死ぬまで残るということを祖母は教えてくれます。